最近口癖のように言ってるこの一言。
いえね、卒論の話ですよ。
とはいえやっぱり体に染みついた”優等生気質”からは抜け出せないのですな。
ほんとどうでもいいならもうあとは適当にグラフ見てこれといった論拠もなく想像で考察しまくって出せばあと20分もあったら終わるでしょう。
けどやっぱりある程度以上の質を自然と求めてしまうからしんどいーーってなる。
分かってるのだけど。
もうこれは22年そうだったからしょうがないわけで。
今日もこの期に及んで分厚い本三冊借りてきてしまった。
「言語を生み出す本能」の上下巻と、「思考と言語」。
やればやるほど底なしの井戸をのぞき込んでいる気分になる。
ここからは分かる人だけでいいのだけども、ちょっとした愚痴を。
最初は気軽に、ブルーナーあたりをまとめてそこにのっかればいいと思った。
なんだブルーナー先生が言いたいこと全部言ってくれてるし☆とか思ってた。
でもブルーナーの理論の意味を理解するには背景を理解することが必要で、チョムスキーやピンカーの理論も知らないといけないとおもった。
チョムスキーの理論を見ていくと、やっぱりスキナーも必要になってきた。
やっとまたブルーナーに戻ってきたけど、言語を詳しく見るためにはそれだけじゃ足りないような気がしてスノウの原文にも手を出した。
まだまだ足りない。全然読みこなせていない。
時間が足りない。
トマセロやトレバーセンにあたっていないのは致命的かもしれない。
今日になってヴィゴツキーに影響されているのは間違いなのかもしれない。
そもそもブルーナーだって何を理解したというわけでもないのだ。
自分の論文が進むにつれて、自分の論文に欠けているところが見えてくる。
その欠けているところを埋めてくれるのは誰の理論か。
プールされた先人達の知識はあまりにも多すぎて、どれを拾えばいいのか途方に暮れる。
学部で終わることを決めたのは自分だけど、ここに来てやり残したことの多さに気付く。
提出は間に合ったとしても、確実に残る部分が多いものになるのは見えている。
底なしであることに気付いてしまった。
いいからつべこべ言わずあと一週間(一週間もないか)だからかんばりなさいってことだね。
やり残したことが多いからって卒業できなかったら困るもの。
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そうだよね。
アトヒトイキガンバッテクダサイ。
やばいなぁ…www
口ではいろいろ言っても、
なんだかんだいいものに仕上げたいと思うし、
欠けてるものもたくさん見えてきて。
終わりはないんだろうけど、
どこで折り合いをつけたら納得できるのかさえ
なかなか判断できずに。
でも研究って、とくに人間の研究ってそういうものな
気がする。
たかが22年生きただけの私に語り尽くされちゃ
たまんないと思うし。
できるはずもないし、人間ってそんなに簡単なものでもないし。
生活してれば結構簡単なときもあるけど。
欠けてるものがたくさんあってもいいんだと思った。
欠けてるっていうその気づきがないと次にもつながらんしね。
底なし☆だから楽しいじゃない☆
とりあえず書き上げてほっとしての書き込みでした!
おつかれっ!
遅くなりました。
最近はすっかり遊び呆けてたよっっ。
卒論おつかれさまー。
次はレポートラッシュか…
ちっとも進んでないのが痛々しいなこりゃ。
あうあう。
いっぱいやり残したことあるっていったって、仕上げたらもうやりたくないってのが本音だったり(苦笑)